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【台湾】熱烈歓迎!

只今台湾到着!

熱烈歓迎!

今回は、姉妹都市提携30周年事業で台湾向けインバウンド映像を製作、監督させていただき、福井県美浜台湾新北市石門区訪問団に同行しています。

総勢101名、山口町長をはじめ小中学生、市民の方々や町の役の方々が、文化交流や人的交流を交えさらに友情を深めようとする事業です。

田中光敏拝

【岐阜】リトアニアと日本

寿福滋写真展

杉原千畝と命のビザ〜シベリアを超えて

リトアニアと日本を繋ぐ人たちのドキュメンタリー

杉原千畝や福沢諭吉など、リトアニアの人たちから見た日本も紹介されてとても興味深く見せていただきました。

一緒にいる方々は、僕の隣にはリトアニアの大使そして長年千畝の足跡を追い続けて来た写真家の寿福さん、となりは、ドキュメンタリーの監督のオウレリウス、ジーカスさんです。

杉原千畝の命のビザ、が繰り広げられたリトアニアは、杉原千畝の物語にはなかなか出てこないけれども、リトアニアという国が歴史的に日本を非常にいい意味で、見てくれていたことがこのドキュメンタリーで良くわかりました。

そういう、背景があって、杉原千畝のVISAの話が生まれたのですね。

今日は大変勉強になりました。

皆さんにも是非見ていただきたいドキュメンタリーです。機会があれば是非映画見て下さい。

因みにタイトルは

カウナス スギハラを、日本を思う。

です。

田中光敏拝

【岐阜】「ロダンと花子」、花子のふるさとを訪ねて

今日は岐阜です。

今とても興味ある人、世界的有名な彫刻家ロダンが恋した、女優、太田ひさ。芸名は花子。この花子さんの回顧展と、今日はリトアニアの監督が作られた杉原千畝さんのドキュメンタリー映画が見られるという事で、やって参りました。

時間があったので岐阜県立図書館の近くにある喫茶店に入りました。

もちろん、モーニングのボリュームの多いこと、それ以上に、このメニューの表紙。

夢と希望と錯覚

人生暇つぶし。アリバイ、

言い訳探し

生きているだけで儲けもの

心の健康が財産

乾杯

かんしゃく    くをとれば感謝。ありがとう。

鎖を切ってロマンを語ろう。

と書いてある。

よく考えたなーでもチョットわかりにくいなー

たくさん伝えたい言葉があるんだろうなぁー。

でも少し笑ってしまった。

そして、前向きな言葉になんか癒された気がします。

田中光敏

このお店の店内には、世界中のお土産が所狭しと並んでいました。

【大阪】天神祭にも

恒例の、天神祭。今年も五代友厚船に乗せていただきました。

五代友厚を、是非映画化したいという、有志の方々によって、来年映画化に向けて具体的に動き出します。

もちろん僕も、声をかけていただき監督として参加させていただきます。脚本は「海難1890」や「利休にたずねよ」を書いてくれた、小松江里子さん。

いよいよ準備が整いそうです。

という事もあり、天神祭の五代友厚船は、とても、とても盛り上がっておりました。

貴重な体験ありがとうございました。

田中光敏拝

【奈良】田原元町

奈良県田原元町。五代友厚の妻豊子さんの生まれた地。

豊子さんの実家があったのは奈良県八尾村常盤町、現在の田原本町。八尾豊子さんは、そこで儒学者の父を持つを持つ三女として、生まれました。

五代友厚を支えた、無くてはならない妻豊子。

サムライから民に下り、日本の近代のシステムを作り上げた男、五代友厚。

これほどの男であるにもかかわらず、中々評価されることがなかった。

あるときは、西洋かぶれ、またある時は金の亡者。

仲間からも、命を狙われ、その時代では、彼に共感するものは少なかった。

資料によると、その五代友厚を愛し、信じ、支え続けたのが、その妻豊子さん。一切の蓄財もせず、ただ日本の未来のために、ひたすら新しい事業に可能性をかけた五代友厚の、生前残した借金を豊子さんが返済したとある。

なんと、凄い女性だろう。

豊子さんの人となりが知りたくて、田原本町に来て見ました。

五代友厚の妻、豊子さん

【奈良】暑中お見舞い申し上げます!

奈良県天川村に来ています。

これから製作する映画の準備で是非一度来て見たかった五代友厚ゆかりの地。

五代友厚が一番最初に着手した天和銅山がある村。

京都から、およそ2時間、奈良の中にあって中々来る事が出来ない場所、橿原神宮から車で一時間山あいを走ると忽然と、天川村が現れる。

天川村、美しい。空気が美味しい。そして神秘的。

海抜850メートルにある村は、この暑い日本にあって朝は22度、昼間でもとても過ごしやすい気温の中で、40度近い東京から来た僕を、心地良く迎えてくれました。

天川村は、奈良県の中部に位置し、天の国、木の国、川の国というキャッチフレーズで、世界遺産に登録された、紀伊山地の霊場と参詣道。修験の山大峰山があり、その麓には天河大弁財天神社がある。

とても、歴史的に意味を持つ場所。

そして、日本で初めてパワスポットと呼ばれるようになった場所でもある。

写真にある、天河大弁財天社は、芸能の神さまでもあり、さっそく参らせいただきました。

ご案内いただきました皆様と一緒に記念撮影です。

暑い中、ありがとうございました。

心から感謝いたします。

宿泊は洞川温泉花屋徳兵衛さんに泊まりました。

500年の歴史ある、穏やかな空気の流れる温泉旅館でした。

洞川温泉の街並みは、まるで映画のセットのように、時代を感じる、心地いい街並みでした。

夏に疲れたら、一度天川村に充電しに来るのもいいと思います。

霊峰大峰山です。

女人禁制の決壊があります。

初めて来た天川村は、人も自然も本当に素晴らしい村でした。

この村に一泊出来て、暑い、暑い、忙しい日常を心地良くリセット出来ました。感謝です。

田中光敏拝

【東京】よんなな会レポート

田中光敏事務所のわにぶちです。

よんなな会の講演の後、監督から電話がありました。

興奮冷めやらぬ様子で、ブログの内容を語っていました。

さて、よんなな会とは?(団体名をクリック!)

今回は、名前が同じ!光敏さん繋がりの「上尾の光敏」さんが、レポートを書いてくださいました。

田中光敏監督講演要旨

・テーマは、映画「海難1890」と恩返しについて

・まず映画の予告編の日本版とトルコ版の比較から始まった。

・エルトゥールル号の事故については、トルコでは40歳代までの人たちは教科書を通じて多くの人が知っている。

・日本では知られていない。

・予告の作り方でも、その状況を考慮した。

・映画製作のキッカケについて

・串本町長からの手紙から始まるが、最初は可能性は1%しかないと感じていた。

・2つ目の手紙で心が動いた。

・それは、村の金庫から出てきた。村人たちが、トルコから送られたお金を受け取れないと断ったもの。

・「お金は受け取れない。目の前で困っている人がいれば助けるのは当たり前。お金は、事故で亡くなった遺族へ渡して欲しい。」

・先人たち(日本人)の心に強く感動した。

・最初、国も配給会社も動かなかった。

・トルコ文化大臣(エルトゥールル氏)の協力により、日本国へ親書を送ってもらい、またお金や法律の改正などもやってくれた。

・撮影にはいる前、俳優たちには、「主人公は、事故の被害者を救ってくれた名もない人々であり、テヘラン空港にいた人々だ」と伝えた。

・「雨を喜ぶ」と先輩たちから学んできたこと。

・あきらめない、ことの大切さ。

・和歌山県の子どもたちにも見てもらって、「こんなカッコいい日本人になりたい」と感想文をもらっている。

ベタ打ちですが、こんな内容の講演でした。

 

様々な縁や偶然や奇跡がつながってできた作品なんだと改めてわかりました。
ですが、「あきらめない」という気持ちが、形にするためには大事だということ。
なにより名もなき人々の行動が、時代を超えて伝わっていることに感動しました。
一方で、忘れてしまっている私たちは、いったいどこにいるんだろう?という疑問も感じました。
わずかな時間でしたが、たくさんのきづきを与えてくれる講演でした。

長文で失礼しました。上尾の光敏

 

管理人より

上尾の光敏さん、いつも監督の応援をありがとうございます。

それから監督の写真もいっぱい!

「田中光敏写真集」(笑)として、ご案内させていただきました。

【東京】よんなな会の講演

ただ今東京です。

今日は、「よんなな会」に参加させていただき、「海難1890」の話をさせていただきました。

「よんなな会」ってなんだろう?

恥ずかしながら。僕は知りませんでした。

「よんなな会」とは、全国47都道府県の地方公務員の方々と中央省庁で働く官僚の方々を繋ぐことで、日本全体を有機的につなげることを目的とした会で、若くて想いを持った方々のボランティアで運営されています。

全国47都道府県から沢山の若い公務員の方々が、日曜日にもかかわらず、地元の名産品を自費で持ち寄り、自費で地方から東京へ集まっていました。

日本もまだまだ、捨てたもんじゃない!

まずは会場の雰囲気を見て感じた感想です。

何か最近のニュースを見て気持ちが落ち込み気味の中、日本の未来はこの若い人達が居てくれたら大丈夫。

そんな、気持ちのいい、爽やかな気分にさせていただいた会でした。

脇さんをはじめ、運営スタッフの皆さんありがとうございました。

また、「よんなな会」の皆さんに出会えて、少し未来が明るくなりました。ありがとうございました。

田中光敏拝